セント・パトリックス・デー
セント・パトリックス・デーはアイルランド人であること、つまりその精神、決意、創造力、そして私たちを私たちたらしめている言葉で表せないものを祝う世界的なお祭りです。アイルランドは素晴らしい可能性を秘めた国であり、当館は毎年セント・パトリックス・デーを機会に、アイルランドの魅力を発信しています。
一部の研究によると、聖パトリックの本名はマイウェン・ サケットといい、4世紀末にブリテン島(おそらくウェールズかスコットランド)で生まれたとされています。16歳のとき、海賊の一団に誘拐されてアイルランドで奴隷として売られ、羊飼いとして働かされました。6年もの長い奴隷生活の後、ゴール(現在のフランス)の北岸に逃げ出し、そこで司祭になるために学び始めました。そのとき彼はパトリック(パトリクス)と名前を変えました。言い伝えによると、パトリックは繰り返し同じ夢を見て、それをアイルランドの異教徒をキリスト教に改宗させよという召命と解釈しました。
432年頃、パトリックはアイルランドに上陸し、三つ葉のクローバーによく似たシャムロックを用いて、三位一体(父なる神、子なる神、精霊なる神)の概念の説明に役立てました。あるときパトリックは、古代アイルランドの首都であったタラのある丘の頂上で、アイルランド上王よりも先に火を焚いて、上王に逆らいました。これはビョールタナというケルトのお祭りのときのことであり、しきたりでは上王が最初の火を灯した後、その火を利用して残りすべてを灯すことが決まっていました。パトリックが焚いた火には神秘的な力が宿っているように見え、パトリックの信仰する神の方が、上王が信仰するドルイド教の神よりも強大であることを、上王に示しました。
パトリックはアイルランド各地を旅して修道院を設立し、学校と教会を建てて、アイルランドのキリスト教化に役立てました。伝説によると、聖パトリックはすべてのヘビを海へと追い立て溺れさせることで、アイルランドからヘビを一掃したそうです。現在、アイルランドにヘビは1匹もいません(動物園を除く)。
パトリックは30年間アイルランドで布教活動を行いました。彼の活動が終わりを迎えたのはダウン県で、彼はそこで461年3月17日に亡くなりました。それ以来、その日はセント・パトリックス・デーとしてお祝いされるようになりました。
中心となるセント・パトリックス・デーのお祭りはダブリンで開かれますが、セント・パトリックス・デーはアイルランドの人々と友人たちによって、世界各地でお祝いされています。セント・パトリックス・デーのパレードはニューヨーク、モスクワ、ミュンヘン、ウィーンなど、世界中の多くの都市で行われます。